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解離と魔がさすの心理学(98/2/19)

 今回、私は、講談社の現代新書で多重人格について書いたわけだが、そのなかで最も私の心をひきつけたのは、解離という心理状態である。
 これは、人生の中で思い出したくないような体験を普段の記憶システムに組み入れず、別の記憶システムに刻み込んでしまうというメカニズムで、これによって人間は自分のおぞましい記憶を通常意識しないで済む。
 このメカニズムの特徴は、いわゆる想起の障害のように、記憶に貯蔵されているのに思い出せないとか(注:記憶には、入力段階である記銘と貯蔵段階である保持と出力段階である想起の三つの段階が想定されている)、精神分析でいう抑圧のように、記憶は意識の下にある無意識のシステムに組み込まれて、通常の形で意識にのぼることはないが、そのエネルギーがヒステリーや神経症などの原因になるというモデルでもない。通常の記憶のシステムのほかに、いくつもの記憶のシステムが存在するというわけだ。おのおののシステムは時間的なつながりをもっているので、それが前面に出る際には、前にそのシステムが前面に出た時と記憶はつながっている。抑圧であれば、記憶は形を変えて、心的エネルギーとなって「症状」として悪さをする。想起の障害であれば、思い出された際には通常の記憶システムに組み込まれる。しかし、解離は通常の記憶システムが知らないところで、つながった記憶の体系ができているのだ。
 この解離された記憶システムが、別のアイデンティティをもって、一つの人格として動き出した状態が多重人格である。
 私が問題にしたいのは、多重人格という形をとらなくても、ふと自分の記憶がつながらなくなって、その時にとんでもないことをしでかしていることがあることだ。立派な社会人で通っている人が、それほどお金に困っているわけでもないのに万引きをする。その時のことはうすらぼんやりとしか憶えていない。つかまった時に決まって本人が言ったり、周りが言うことばが「魔がさした」である。
 おそらくいろいろな形で「魔がさした」と言われるような行動をとるときに、何らかの解離のメカニズムが働いているのかもしれない。いい子のまま大人になった人が、悪い子の時に親に叱られたり、叩かれたりした記憶は別の記憶システムに組み込まれる。悪い子は、別の記憶システムとして成長していく。そしていい子がちょっと休んだすきに(解離をおこした際に)出てきて、悪さをする。こうして、魔がさしたその人は下手をすると、いい子として生きてきた人生を棒にふってしまう。本人がよく憶えていないといっても周囲も警察も信じないだろう。ふざけるなと言われて、下手をすると改悛の情がないと却って重い罪をきることになるだろう。
 「魔がさした」時に出てくる「悪い子」は、天才的な犯罪者のこともあれば、ずさんで子供っぽい犯罪者のこともある。道徳の観念をもっていることも、もっていないこともあるだろう。連続幼女誘拐殺人事件の被告Mの中にいた(いる)悪い子は、天才的な犯罪者だったようだ。知らないうちに車のトランクの中には、何十本という新品のビデオテープが入っていた。白昼堂々と大量万引きをする「悪い子」のおかげで、彼は逮捕される前の14ヶ月で4000本のビデオを手に入れることができた。
 一方で、魔がさした時に出てくる「悪い子」が子どものままの間抜けさであるために、万引きか何かをしても簡単につかまってしまうこともあるだろう。そういう場合、普段の「いい子」の社会的立場が高いほど、大きな代償を払うことになるだろう。
 自分の中の「悪い子」を大人しくさせる方法はあるのだろうか?あるいは、出てこないようにさせる方法はあるのだろうか?
 おそらくは多重人格の治療と同じように、解離された忌まわしい記憶を除反応することで、「悪い子」の形で出ることがなくなったり、減らしたりできるのかもしれない。
 そんな言い訳が通じるのなら、警察はいらないという声もあるかもしれないが、どうも「魔がさした」としか思えないようなことをして、それが微罪のものなのであれば、社会ももう少し大目に見てあげてもいいのかもしれない。「いい子」としての人生を否定することはないのだ。おそらく「悪い子」の行為は自分を叱ったり叩いたりして「いい子」であることを強要した親への復讐なのだろう。親の言いなりになった「いい子」は、かくして復讐されることになる。結果的に制裁を受けるのは、親ではなく、自分なのだ。
 言い逃れと斬って捨てる前に、もう少し我々精神科医は「解離」について学ぶべきだ。人が考える以上に小さなころにトラウマを経験した人は多いはずだ。生い立ちと犯罪の関係が問題になることは少なくないが、Mの事件まで何十年もの精神鑑定の歴史の中で、この「解離=魔がさす」ことが一度たりと問題にならなかったのは嘆かわしい限りだ。
 ついでに言うと「魔がさす」ことの最大のそしてかなり大きな数の犠牲者は、魔がさして、自分自身を殺してしまう人たちだろう。うつでもない、普段のその人からは考えられないような自殺の場合、こういう魔がさしてやったケースは決して少なくないだろう。実際、多重人格患者の自殺傾向や自傷行為の傾向はかなり強いと報告されている。
 人間の主観もかわり、トラウマ的に物事を受け取る人も増えてくるだろうし、いじめや子どもを愛せない親などトラウマそのものも増えてきている。
 これからしばらく、トラウマや解離は精神医学のメインテーマの一つにすべきなのではないだろうか?日本ではこれがほとんど研究されていないのに、「魔がさして」自らの命や社会的生命を断ってしまう人はあとを絶たないのだから。
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