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恥といじめと日本人のトラウマ(98/2/24)

恥といじめと日本人のトラウマ

 魔がさす話を読んで背筋が寒くなった人もいるかもしれない。
 トラウマというのはあくまでも主観的なものであり,本人の受け取り方次第のものだ。だからこそトラウマというのは文化の影響を受けやすいものなのだろう。例えば西欧文化でトラウマと思われていたことが,別の文化ではそうでもないということは往々にしてある。
 アイデンティティやモラトリアムということばを作り,日本でも最も知られている現代精神分析家のエリクソンは、文化人類学者だったこともあり、ネイティブアメリカンの子育ての研究もしている。それによると、部族によっては、近親相姦まがいのことも、西欧の基準では児童虐待と見なされても仕方のない暴力的なしつけも往々にしてみられたという。しかしながら、その後、それを受けた子どもたちは特別に精神障害に冒されるわけではない。ただ、白人が入ってきて、自分たちの価値観を強要し、彼らの文化を否定し、子育てそのほかがぐらついてきた時に、精神障害がしばしば見られたというのだ。
 ここで言いたいのは、トラウマ的な事をされても、文化が許容しているのであれば、受けた本人が主観的にトラウマと感じず、その後の精神障害の原因にならないのであろうということだ。例えば、神風特攻隊の生き残りの人が、ベトナム戦争の帰還兵と比べて、PTSDが少ないのも、当時の死を恐れない教育やしつけや文化の賜物であったのかもしれない。
 逆に西欧の価値観でトラウマでないことも、日本人でならトラウマになり得ることもあるだろう。おそらくそれは恥によるトラウマではないだろうか。殴られる、蹴られる、命が危険に晒されるというタイプのトラウマは、たしかに日本ではそうは多くない。しかし、穴があったら入りたいどころか、死んでしまいたいという恥の体験は、かなりの数であるのではないだろうか。いじめられて自殺するというのも、本人が受けた暴力の程度は、アメリカでバイオレンスや親の虐待におびえる子どもたちと比べれば大した事がないで片づけられそうなものなのに、本人が感じている恥は、はるかに強いものだからではないだろうか?だからこそ、親にさえいじめられていることを打ち明けられず、死を選んでしまうのではないだろうか?レイプについても、アメリカ以上に、それが恥であることは問題だろう。これも打ち明けることが出来ずに苦しんでいるのは事実のはずだ。
 実際は、アメリカでさえ、精神分析理論のなかで、恥の体験が人格の発達や精神病理に与える影響が問題にされはじめている。例えば、アメリカで最も人気のある自己心理学の理論では、人間の攻撃性というのは、本能的なものでなく、自己愛を踏みにじられた時に生じる自己愛憤怒を源泉とすると考えられている。これはとりもなおさず恥の体験を意味している。しかしながら、日本に限らず、体面を重んじるアジアの国々では、アメリカ以上に恥の病因性は強いものになるだろう。
 現実に私が観察する限り、最近の若い親たちの関心事は、子どもが勉強ができるかどうかより、我が子がいじめられていないかということにあるようだ。この20年の受験教育批判の中で、人間性や性格面の十全さがそのかわりに強調されすぎてきた嫌いがある。いじめられたり、友達に嫌われるということは、その方面での欠陥を意味すると考える親も少なくないのだろう。よしんば、そうでなくても、親が子どもがいじめられることを過度に恐れている姿を見せることは、子どもにはいじめられるというのは、大変まずいことなのだというメッセージを与えることになる。これでは、子どもがいじめられることをを恥と感じて、親にいじめを隠すのは当たり前となってしまう。一人で思いつめて、自殺に走るのは少数派であったとしても、これを心のトラウマとしてしまい、その後精神科的な問題を起こしたり、しらないうちに魔がさしてしまうということになりかねない。
 おそらく、人間に自己愛が存在する限り、人より何らかの優越意識はもちたいだろうし、現在とは形を変えるだろうが、差別的なことの根絶は難しいだろう。特に子どものうちは残酷なものだ。私自身、アメリカ留学中、自分の娘が白人の子どもに手を結ぼうと近づいていって、手を振り払われたのを目撃したことがある。親が家庭で差別的教育を行っているとは、アメリカのミドルクラスのクリスチャンではまず考えられない。要するに本能的に肌の色の違いを気持ち悪いと感じるのだろう。実際、初めて黒人の保母さんに抱きかかえられた時に、逆に娘は、怖がって泣き出してしまったのだ。だから、私はその白人の子も親も責めることはできない。
 また、集団精神医学の考え方でも、人間は集団を作った時には、スケープゴーティングは不可避のことだと考えられている。むしろ、その際に治療者が、現在起こっているのは、スケープゴーティングだと指摘し、その原因を探索することで、スケープゴーティングをした側も受けた側も、人間的に発達できると考えられているのだ。
 いじめをなくそうだとか、あってはならないことだと強調しすぎると、教師も子どももそれを隠そうとするだろうし、親もなるべくそれを見ないようにするだろう。いじめは仕方ないことだという事実を、みんなが共有して、起こった時にみんなで、対処できるようにするほうがしはるかに現実的だし、発達上もよい影響を与える。その際に、むしろいじめられるぐらいのほうが、個性的でかっこいいいとか、性格がよすぎて抵抗できないからいじめられるなどという、いじめられている側に好意的な雰囲気を作り出せていればベストだ。
 家庭でも、いじめられるぐらいのほうが将来頼もしいというメッセージを送ることは、いじめの予防にならないにしても、いじめの被害を緩和する策にはなり得る。例えば、子どもに受験勉強や塾通いをさせていた場合、子どもがいじめられると言ってきた場合、それは勉強をしているからだとかひがまれているからだとかはっきり言ったり、最近は新聞やテレビが勉強することを悪いことのように言うので、いじめられるのだと言って、いじめられるのは自分のせいではなくて、マスコミのせいだとはっきり思い知らせるという手もある。
 とにかく、子どもにせよ大人にせよ、みじめな体験をすることは、人生においては何度もあるだろう。それを周囲の反応や本人の心がけで、恥の体験にしないことが、こころの健康につながると私は信じている。
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