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臓器移植にもの申す(99/3/9)

 3月1日付の各新聞のトップ記事はなんといっても、脳死・臓器移植法案成立後、初の「合法的」移植が成功したというニュースである。
 このニュースについては、医師としていくつも言わねばならないことがある。
 まず第一に、これで医療が画期的に変わるか?移植を待つ患者さんが救われるか?という問題がある。
 残念ながら、これについては、絶望的といってよいほど悲観的だ。
 これについては、以前、『THIS IS 読売』の1997年8月号でも、年間に発生する脳死の数と、人工呼吸器の普及度、および脳死判定の可能な施設ということを考え合わせると、合法的な脳死患者、つまり臓器提供者は年に20人程度しか現れないだろうということを警告したことがある。実状は、私の読みでも甘いくらいで、法案成立後1年4ヶ月目にして、第一号が登場したわけで、この分でいくと、よくて年に2、3例の臓器提供者が現れるのが関の山だろう。
 一方で移植を待つ患者がどのくらいいるかというと腎移植を待ちながら死亡するケースは年間800人、心臓移植が必要な患者の発生数は年間200〜700人、肝臓移植の適応がありながら死亡している推定患者数は年間2300人とされる。今回の移植で、一人の脳死者が出ると、いくつもの臓器を提供できるし、腎臓は二つ提供できることも確かめられたが、それにしても年間2,3例の臓器提供者では、移植を待つ患者の百人から千人に一人しか現実の治療が受けられないということになる。こんなにあてにならない技術が確立した医療技術と呼べるだろうか?移植をまつ患者さんの期待をこれだけ膨らませておいて、この事態をきちんと伝えられているのだろうか?こういうことこそインフォームド・コンセントといえないだろうか?少なくとも、この重い事態をどこのマスコミも報じることなく、薔薇色だの、医療の新時代の第一歩と書き立てている。それと比べると、年間数百人の命を救っている生体肝移植のほうがはるかに薔薇色のものだし、人工臓器の開発のほうがさらに必要とされる医療技術なのである。受けなければ死ぬという患者の99%以上が見殺しにされる治療法が成功したと大騒ぎするより、もっと確実に助けられる技術を真剣に模索するほうが医療のあるべき姿だろう。そうなってからこそが、医療の新時代なのであって、移植を待つ患者の99%は現状のままですよとはっきり伝えるほうがインフォームド・コンセントというものだ。あるいは、移植医療を絶対視したいのなら、もっと脳死患者が出るように、日本中の病院に人工呼吸器と脳波計などを設置したり、ドナーカードも国民の義務化するくらいの覚悟が必要だ。それでも足りなければ植物状態くらいの人もみなし脳死と認めてやるしかない。そうでもしなけりゃ移植を待つ患者など救われはしない。
 今回の移植について、もう一つうさん臭く感じたのは、「情報公開」が過度に強調されたことだ。脳死患者が発生した病院名は明らかにされ、何度もその院長が記者会見をする。事実上脳死患者まで特定される。こんなものが情報公開と言えるのだろうか?この状況下で患者の家族に移植を断る権利や自由が認められたとでも言えるのか?こういうものを情報公開と言うのか?
 あるいは手術の風景もテレビで中継された。これについては堂々と「情報公開」のためと宣言された。これだって患者の人権は無視されたのも同然だろう。
 ここまで医療の側が情報公開に熱心なのだったら、他のことでももっと情報公開すべきでないのか?現状では医師の宣伝は禁止されている。医師の出身大学名はおろか、その人の経歴も公開されない。外科の大学教授と思って安心していたら、その人が手術をほとんどやっておらず、ある種の研究で業績をあげて、教授になったなどというケースも珍しくないし、精神科の教授にしたって、臨床をほとんど行わず、20年間顕微鏡を覗いていた人というケースだって少なくない。こういう経歴だって情報公開すべきだろう。こういうことが公開されないから、間違った患者が送られてくると、そのまま気づかずに手術をするという体たらくが当たり前のものになるのだろう。医学博士というのにしても、現在85%は動物実験をしてとったものだ。これだって、動物実験でとった医学博士なのか、患者を診てとったものなのかくらいは公開してもいいだろう。
 もっと情報公開すべきなのは、薬の認可にまつわる問題だ。アメリカの厳しい基準をクリアした薬が日本でなかなか認可されず(バイアグラだけは、よほど日本の政治家たちにニーズがあったらしく、何の圧力があったのか、またたくまに認可されたが)、一方で外国だととても売り物にならない薬が次々認可される。おかげで日本の製薬会社で、海外売り上げ比率が5%を超す会社はほとんどないという。日本中のありとあらゆる業種の中でこれほど国際競争力のない業界はほとんどない。そして、これの許認可の前段階である治験というのを評価するのを、主に大学の教授たちが行う。副作用が出ても「本剤との因果関係が薄いと思われる」とコメントを添えれば、厚生省はその判断を信じるしかない。またはっきりと有効でない場合に都合のよい「やや有効」という評価が多ければ、それで効いたことにされてしまう。かくして外国では売り物にならない薬が日本では次々と認可され、逆にアメリカで認可された薬も日本の大学教授が気に入らなければ、日本では販売できない。これは、ひがみだとかうそだと思うなら、一度大学の医学部の教授たちがどんな家に住んでいるかを取材してほしい。年収1200万円かそこらの国立大学に勤める国家公務員(もちろん、アルバイトも患者からの謝礼も禁止されている)が住めるはずの家に住んでいないことに気がつくはずだ。こういうものを公開してこそ、情報開示と言えるだろう。ついでに言うと移植推進派の医師たちの自宅も取材すれば、彼らがどの程度の手術後の謝礼を受け取っているかも想像がつくのではないか?彼らがなんのために百人に一人しか受けられない移植を推進するのかがわかるかもしれない。患者の選別権が医者にあるのだから。
 薬の許認可にからむことについても大学教授たちは、自分たちは情報公開をしていると言うかもしれない。「われわれは政治家のように、個室の料亭のような密室で製薬会社の人と打ち合わせはしていませんよ。いつも銀座のクラブでホステスさんに情報公開していますよ」と。でも、なんで薬の研究の打ち合わせが、酒を飲みながら行われ、ホステスさんのいる高い店で行われるかという情報が公開されることはないのだ。
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