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ADHDについての私の見解(99/8/2) 『女性セブン』28号において、学級崩壊についてのコラムの中で、注意欠陥多動性障害(ADHD)という子供の病気に触れたところ、真意がうまく伝わらなかったようで、多くのその病気のお子さんをもつ親御さんたちから抗議を受けた。 私が問題にしたかったのは、学級崩壊という現象について、NHKスペシャルが、和歌山大学の協力を得て、全国の小学校教師に対してアンケートを行った結果に関してのことだった。「授業中、歩き回る生徒がいる」ということについては、昨年一年間で三四%(つまり約3クラスに一人)もの小学校教師が体験していることが問題にされていた。 「授業中、歩き回る生徒がいる」という話を聞いた場合、我々精神科医がまず思い浮かべるのは、注意欠陥多動性障害(ADHD)という病気である。現状の診断基準では、歩き回る子のかなりの部分がこの病気と診断されることだろう。 この病気は教科書的には、アメリカでは、子供の3〜5%はいるとされているのだから、3クラスに一人つまり、1%前後の割合で授業中歩き回ってしまう子供がいても不思議はない。ただ、教師がこのように歩き回る子が増えていると実感しているとすれば、昔はこの病気を抱えながら歩き回る子が少なかったか、あるいはこの病気そのものが増えているのかどちらかだろう。 私は、学級や学校の崩壊と「歩き回る子がいる」ことは別問題であると考えている。前者は社会の、あるいは教育の問題であり、後者はたぶんにして医学の問題であるからだ。実際、この病気である場合はかなりの比率で薬が効くのだから、ここで親や子が断罪されるより、病気であることを受け入れ、きちんと治療のレールにのせるべきだろう。薬が効けば、それによって親も子もハッピーになる。効かなくても子育てのパターンを変えることで、やはり症状が落ち着く可能性も高い。 だから、私は、この病気が社会に認知されるために、あえてこの病名を学級崩壊と結び付けて紹介したのだ。 ところで、ADHDは現在のところ、かなり生物学的・遺伝的要素の強い疾患とされているが、まだ原因は不明で特定できていない。1998年に出されウェイン大学精神科教授のロビンによるADHD in Adolescents( Robin, A.L.. Guilford Press, 1998)でも、その第一章の冒頭に、「ADHDは原因不明の不均質性の障害である」と書かれ、これに「そして非常に変更されやすい定義の疾患である」と書き加えたいと述べている。 そのため現状では症状から診断するしかない病気である。 現在医学的に信頼可能なADHDの診断基準は、アメリカ精神医学会によるDSM− IVだけである。精神疾患の国際基準であるICD−10では、この病名を採用しておらず、多動性障害という病名が用いられている。DSM−IVでは、原因のいかんにかかわらず 不注意(人の話をしばしば聞いていないように見えるなど9項目)のうちの6項目以上や多動―衝動性症状(しばしばでしゃばりすぎるなど9項目)のうち6項目以上ずつを6ヵ月以上続けて満たし、そのうちのいくつが7歳未満に存在し、これらの症状による障害が2つ以上の状況において存在し、社会的学業的機能において著しい障害が存在し、他の精神障害によるものでなければ、この診断名を受ける。そして年齢相応の発達レベルの子供に典型的に見られるものよりはるかに頻度が多く重度の注意障害や注意障害と多動−衝動性の持続するパターンがこの病気の本質である」と記載されており、どこにも原因を特定していない。(つまりこのパターンであれば一部除外される病名――分裂病や広汎性発達障害など――以外のどんな原因であってもよいとされている)。そしてDSM−IVでは生物学的な基盤の病気であるとはどこにも書いていない。 この診断基準では、生物学的な原因以外のものを含めて多くこの病名をつけてしまうと考えられている。だから、Synopsis of Psychiatry(Hales, R.E. & Stuart S.C. eds., American psychiatric press, 1996)でも、ポッパーとスタインガードは、「臨床の場では、薬の反応をみてからこの「診断」がなされるべきだ」という声があるのを認めている。しかし、この薬(リタリンなどの中枢神経刺激剤)はADHD以外の行動異常にも有効なのでそれはできないと認めている。薬が効いたからといって、特定のメカニズムによるとは断定できない。この薬は原因のいかんにかかわらず行動異常のある子供には効いてしまうからだ。 その他、いろいろな生物学的な検査の結果はでているが、生物学的なADHDだけを診断する方法はないのが現状である。現実にDSM−IVでも「ADHDの評価において診断的である検査法は確立されていない」とされており、また「特定の身体上の特徴もない」とされている。 そして、実際DSM‐IVを用いた場合、多くの子供がこの疾患の診断を受けることになる。1994年にウォルライクとバウムゲッテルがテネシーで行った8258人の子供にきちんとしたチェックリストを用いて行った調査では、11.4%の子供がこの診断を受けた。翌年4323人に行った調査ではそれが16.1%となった。またバウムガーテルの1995年の調査では、17.8%の子供が診断にあてはまったとのことである。 ところで、この1回目の調査では、DSM−III−Rという古い診断基準を用いた調査も行ったのだが、それによると7.3%しかこの診断名を受けなかった。診断基準によってこの診断を受ける人がこんなに違うし、こどもの6人から8人に一人がこの病名を受けるとすれば、子育てなどの環境因子だけが原因でこの病名を受ける人もいる可能性を否定するのは困難である。逆に16.1%の子供がこのような生物学的な病気をもつとすれば、これまで3−5%の子供しか発症しなかったわけだから、やはり子育てを含む環境因子がこの病気の発症阻止に大きく寄与していた可能性が強いと考えられる。 今後のADHD研究では、どのような環境因子がADHDの発症阻止に効果的であるかの研究が重要なテーマとなるだろう。少なくとも、環境因子をかえることで、DSM−IVでADHDと診断される子供を減らすことができるのは、十分期待できるのである。 実際、生物学的な脳の異常があるから、かならずしも精神障害になるわけではないし、またその程度をなるべく軽いものにするにはどうすればよいかは、ADHDに限らず精神医学の重要なテーマである。特にADHDの場合は、外に出る症状によって診断される病気だから、いかに症状を軽減していくかは大きな問題だろう。 DSM-Wでは、「(この子供たちには)児童虐待や育児放棄、多くの養育者による養育セッティング(つまり施設のこと)、神経毒の被曝、感染症、子宮内での薬物への被曝、低体重、精神遅滞の病歴があることがある」と記載されており、さまざまな原因によって生じることが銘記されている。 アメリカで最もポピュラーな教科書であるSynopsis of Psychiatry 8th edition(Kaplan, H.J & Sadock, B.J. eds, Williams & Wilkins、1998)によると、この病気の発病は一つの因子によってのみ説明できないのも事実で、前述の98年版の教科書では、「ADHDの原因は不明である」と銘記してある。そして、その後で「遺伝的要因」「(胎生期の)発達上の要因」「神経化学的要因」「神経生理学的要因」「精神社会的要因」の5つが原因として並列してあります。もちろん、その一つだけで起こるとは銘記しておらず、そのうちのいくつかが絡み合っているということである。 そしてこの教科書では、この精神社会学的要因として、「施設で育った子供たちはしばしば多動で注意の持続が短い。これらの徴候は長期におよぶ情緒的剥奪の結果である(略)ストレスになるような事件や家族やそれに相当する養育の断裂、その他の不安を含む要因が、ADHDの症状発現あるいは症状の持続に寄与している」と銘記されている。 また、Synopsis of Psychiatry(Hales, R.E. & Stuart S.C. eds., American psychiatric press, 1996)には、ハーバード大学講師で、Journal of Child and Adolescent Psychopharmacologyの編集委員であるポッパーとボストン小児病院精神薬理学部長のスタインガードが、「家族間の伝播は遺伝と精神社会学的メカニズムのいずれかによって説明され得る」と銘記している。 そういうわけで、私は「遺伝的なものもからんでいるようですが(略)親の愛情不足の影響もおおきいようです」と書いたわけだ。ここで、あえて子育てのファクターを強調したような形をとったのは、これまでの精神科医としての経験から、日本では遺伝的なファクターを強調するとかえって、結婚その他での差別を助長する可能性を考慮したからだ。実際、この病気は大人になっても2割くらいの人が治らないとされているし、非行や犯罪に走る人は少なくない。このような病気が遺伝であることが強調されると必要のない差別の可能性が強くなる。実際に子育て次第で、症状を軽くすることができることが多いのであるから、そちらのほうを強調したほうが建設的だと考えたのだが、どうも多くの親たちが非難されたように感じたとのことである。こちらの記載に誤りがあったわけではないが、そういう人に不快な思いをさせたことについては素直に反省したい。 もう一つ、多くの人に知ってほしかったのは、最近では生物学的な要素の強いADHDの患者であっても、その後の環境、つまり親や学校側の対応次第では、かなり予後が改善されることがわかってきたことだ。実際、現在ADHD研究の中でもっとも進歩している分野というと、思春期、成人期にADHDがどうなるかということと、どうすれば犯行挑戦性障害や行為障害などを予防できるかということだ。そして、最近出された(医学書を含めて)多くの著作が、親や教師がどのようにこの病気の子供に介入すべきかということにページが割かれている。90年代になってから、生物学的研究にさほど新しい発見がない(だから、80年代後半に出されたたとえば、前頭葉機能障害説やそのほかの検査所見が、この病気の診断基準にはまだなっていない。また、90年代初頭に出されたSSRI以降は新たな薬物療法のトライアルも行われていない)のに対して、親や社会の介入や行動療法、グループ療法など、生物学的でない部分でどうサポートしていけるかの研究はめざましい進歩をとげている。 しかしながら、これらの介入法も多くの臨床家がさまざまな立場から提言しているので、どれがもっとも望ましいものかはまだ確立されてはいない。そこで『女性セブン』誌では、1998年版の教科書の記載を採用しました。 「子供が責任をとれないことについての欠陥がある態度なのだという考えに基づく子供に対する寛容さは子供への助けにならないことを親にわからせることが治療のもっとも普遍的な要求事項である。親たちは、こどもがいくつかの領域で欠陥があるにせよ、責任をとることとものごとをマスターしていくことの必要性を含めた正常の成熟のためのタスクに直面させることを認識するようにしむけられないといけない。それゆえ、ADHDの子供が、他の子供たちにあてはまるような要求事項や期待や計画を免除されることによる益はない」 要するに、私はしつけの欠如がADHDの原因といっているのではなく、ADHDであってもしつけの効果があるし、それを放棄してはいけないと言いたかったのだ。 ADHDは「しつけの難しい病気」であって、「しつけのできない病気」とは考えるべきだろう。ADHDの子供はアメリカのように25人学級が当たり前の国でも学校での教育は困難で、小人数での教育が望ましいとされ、さらに短い注意の持続期間しかないので、それを拾って親が教育してあげるのが肝要であることは多くの著書で指摘されている。わたしが「きちんとしたしつけが大切」と書いたのは、ADHDの原因が何であっても、その後の親の接し方によって、その子供の予後に大きな影響を与えるという現在のコンセンサスを教科書での記載に基づいて書いたものなのだ。 そういうわけで、女性セブン誌での文意は「ADHDは遺伝的なものがからんでおり、子育ての影響が大きいようであり、発病後は親のしつけ方が予後を左右する」と言っているわけで、「ADHDが親の育て方が原因である」などとは一言も言っていない。それと、この病気でもないのに歩き回る子がいるとすれば、そういう子には厳しいしつけ(ただしかりつけるだけというのは逆効果なのは最近の教育心理学で知られていることなので、感情的、攻撃的、威圧的にならずにルールに直面させるという意味で)が必要なのは言うまでもない。 ついでに言うと、最近の研究テーマは、ADHDの子供をどうやって、反抗挑戦性障害にしないか(これについてのマニュアルは前述のロビンの著書に記載されています)あるいはADHDのまま大人になった際にその大人の子育ての問題(Weiss, M , Hechtman, L.T. & Weiss, G : ADHD in Adulthood. Johons Hopkins University Press, 1999)などに移りつつある。ADHDが生物学的な病気だから、「仕方がない」「薬だけが頼り」と親が諦めるほうがむしろ前時代的であり、適切な子育てによって、不適応を減じ、社会的機能水準が上げられるという考え方のほうが主流になりつつあるのだ。 最後に、なぜ教科書を引用したかということですが、これは私の無知や手抜きのためではなく、すでにADHDにまつわる文献は著書や論文をあわせて2000を越し、実際はさまざまな極論が出ている。1995年に出されたトーマス・アームストロングのThe Myth of ADHDは事実上生物学的な関与を否定しています。そのほか、食事のせいだとか、逆にADHDが正常で一般人のほうが過剰適応だというハルトマンのような人もいる。 『女性セブン』誌は一般大衆が読む週刊誌なので、極論を廃し、学界全体のコンセンサスに基づいて、原稿を書くのが節度と考え、アメリカでは非常にポピュラーなカプランとサドックの教科書の最新版をもとに記載した。ほかの文献を参考にしたのは言うまでもないことである。 私の本心としては、立ち歩きやいじめっ子、いじめられっ子とされている子供たちが、この病気の存在を知ることで、社会と学校の対応が変わるとともに、まずは薬などで治療を受けることで症状を緩和させ、さらにその子供たちに合わせた子育て法によって、その子供の能力が最大限に活かされ、また社会的不適応を起こさないで済むようになってほしいということである。(もちろん、薬も子育ての変化もあまり効かない気の毒な子供もいるのは事実だが、多くの子供がそのような医学の進歩の恩恵でメリットを受けるのは確かなことなのだから)だから、社会や教師にはこの病気の存在をしってほしかったし、ADHDの子をもつ親には、諦めないでその子に合わせた子育てをやってほしいということを伝えたかったのである。あるいは未治療のADHDの子をもつ親には、この病気の存在を知ることで、治療のきっかけにしてほしかったのだ。 もう一つ親たちの抗議で私が痛感したのは、昔はある精神障害を生物学的・遺伝的な病気と思ったり思われたりするのを嫌っていたものだが、今は子育ての問題と思われるほうが嫌われるということだった。差別の質が変わったのか、子供が将来差別されるより親が批判されるほうが嫌だということなのかは私にはわからないし、現実にこの病気の場合、親が批判されることは子供にも悪い影響を与えることにつながることも事実なので、今後の文筆活動の参考にしたいと思う。そういう点ではありがたい経験であった。 教科書以外の主な参考文献 DSM−IV 精神疾患の分類と診断の手引、高橋三郎他訳、医学書院 1995年 Robin, A.L.: ADHD in Adolescent. New York: Guilford, 1998 Weiss, M , Hechtman, L.T. & Weiss, G : ADHD in Adulthood. Baltimore: JohonsHopkins University Press, 1999 Fisher B.C.& Beckley: Attention Deficit Disorder: practical Coping Method. New York: CPC Press, 1999 Armstrong, T: The Myth of A.D.D. Child. New York: Plume Books, 1995 Seikowits, M. : All about A.D.D. Oxford: Oxford University Press, 1995 Flick, G.L. ADD/ADHD Behavior-Change Resource Kit. New York: Center for Research in Education. |
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