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俗説と精神医学理論(2000/1/1) 12月27日付けの産経新聞に拙著『自己愛の構造』の書評が出た。 精神科医の春日武彦氏によるものだ。その中で、以下のようなコメントをいただいた。 しかし、たとえば神戸のA少年の事件に触れて「彼は『透明な存在』であることに耐えられなくなって、犯行をエスカレートさせていく。(中略)それでも注目されなければ生首を校門にさらすという具合に。過少刺激のなかで育ち、その満たされない自己愛のために自己愛憤怒に陥っていたこの少年は、注目され、その自己愛が満たされるまでは攻撃性をエスカレートさせていったのだろう」と読み解いてみせられても、これでは知ったかぶりの文化人が事件当時語っていた言説と同じではないか、と評者は当惑してしまうのである。 せっかくのコフート理論の応用が俗説と大同小異になってしまうその不可解さこそ、じっくりと腰を据えて著者に筆を費やしてもらいたい部分なのであった。 このコメントについて、自分の見解を書こうと思ったのは、このようにほめられたとは受け止められないコメントに対する私の「自己愛憤怒」もさることながら、これが日本の精神科医や心理の専門家が、日本人の病理やあるいは犯罪者の心理を解説する際の基本的なスタンスなのではないか、あるいは一般の読者が精神科医や心理の専門家に要求するものを代表しているのではないかと感じたからだ。つまり、「俗説とは違う専門家ならではの、心の世界の解明をすべきだ、あるいはしてほしい」という。 私は、実はその立場にいない。意外に人間の心の中などは単純なもので、自分に置き換えて考えても、理解可能なものであるし、俗説と精神科医の解説が似てしまうほうが自然だろうと。 もちろん、同じような動機をもち、同じような状況にいる人間(たとえば、自分は人に相手にされず、透明な存在だと感じている人間)のうち彼だけが犯行を犯しているわけで、彼がなぜこんなに自己愛領域が脆弱で自己愛憤怒が激しいのかという個人的な精神病理の問題はあるだろう。しかし、これは精神鑑定のように、本人の生い立ちや本人のおかれていた状況についての十分な情報を与えられ、また本人の面接や心理テストも行えなければ軽々なことは言えないだろう。犯罪というのは、このような本人の性質や気質や精神病理と、動機、そしてタイミングやその時点での状況因の相互作用であって、どれか一つが欠けていても起こり得ないだろう。このA少年と似たような精神病理をもつものがいても、動機がなく、またある状況に置かれなければ、犯罪は成立しない。だからこそ、犯罪はこんなに少ないのだ(たとえば、少年による全国で多い年でも100件程度のものである。少年人口を考えればいかに少ないかがわかるだろう)。そして、その中で、精神病理の部分は鑑定をしないことには何も言えないし、状況因については比較的一致をみやすい(借金に負われていたとか、いじめられていたとか)。問題は動機の部分をどうみるかである。 私がコフートが好きなのは、一つには、患者のいうことを素直に信じてあげようという姿勢である。 「分析家としての私の人生の間に私が学んだ教訓が一つあるとするなら、それは私の患者が私に言うことは真実であるらしいという教訓である――私が正しくて患者が間違っていると私が信じた多くの場合に、しばしば長い探索の後にではあるが、結局は彼らの正しさが奥深いのに対して私の正しさは表面的であるとわかった」(コフート著、笠原他監訳、135頁、本書12頁に引用) フロイトなり古典的な精神分析の考え方では、患者の言動は患者の無意識の力によって歪曲されている。そして、精神分析家こそが真実を知るのである。コフートはその考え方に反駁した。人間の心の世界の客観的真実など到達不可能なものだ。知り得るのは、主観的な世界だけだと。 つまり、フロイトなら動機を無意識の世界に求めるだろうし、コフートなら患者の話を共感的に聞いて、素直に信じるというわけだ。 私は、コフートの解説書を書くくらいだから、後者の立場にいる。そして、神戸のA少年を引き合いに出したのは送られてきた犯行声明文が、彼の主観的現実を素直に伝えるもののように感じたからだ。本書の中では引用しなかったが(私の前著『「ちょっと不幸な私」を変える上手な甘え方』には全文を引用した)、このA少年の「ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである」とか「ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている」という文面が、真実のように感じられたからだ(これは偽装であるか、あるいは多重人格の病理のなせるわざなのかはわからないが、宮崎勤による今田勇子名の犯行声明文が、患者の主観的現実とは別世界のように感じられたことと対照的であった)。 私は、彼の犯行声明文が(少なくとも主観的には)真実であるという前提で、彼の犯行プロセスをコフートならこう見るだろうという解釈を載せてみた。そして、この解釈が、俗説と大同小異であるとすれば、それだけ一般人(あるいは知ったかぶりの文化人)にも共感可能だということだろう。少なくとも、精神科医らしく、彼が無意識的なエンヴィの世界にいたとか、パラノイド・スキゾイド・ポジションにいたとか、エスの力あるいはタナトスの力を脆弱な自我がコントロールできなかったと言われるより、明らかに一般の人から見て納得がいくのではないだろうか? コフート流の解釈が俗説と大同小異になってしまうことこそ、主観世界を尊重し、共感的に人間を理解しようとする、コフート理論の特色ともいえるものであって、不可解なことでも何でもない。 ただ、これを「じっくりと腰を据えて著者に筆を費やしてもらいたい」という注文については、多少弁解とお詫びをしないといけない。実は、本書の中で、コフート理論がアメリカ精神分析のメインストリームになるまでの、アメリカ精神分析の歴史を書いた章があったのだが、選書というページ数の上限が決まっている制約上、この章がまったくカットされてしまった。この中で、1970年代中盤以降のメタサイコロジー批判を載せていた。 これは、エスだのアニマだのタナトスだの、本当にあるのかないのかわからない無意識の力や無意識のシステムをあるのが自明のものとする理論体系を批判したもので、むしろ患者の意識できるレベルの心の世界をわかってあげることが大切(これをclinical psychologyという)なのだという運動だった。コフート自身は、この運動にかかわっていたわけではないが、この流れの中でコフート理論の人気が高まったのも確かなことだった。私自身も、こういう主張と似た立場にいるので、本書の中で現代日本の風潮や病理を分析するにあたって、メタサイコロジー的な解釈を極力廃して、一般人の主観的世界を共感可能なレベルで理解しようとしたつもりだった。そのため、書いてある内容が、精神科医に言われなくたって当たり前じゃないかと思われる個所も多かったことだろう。なぜ当たり前の解釈になるのかを説明する前段として、この章が削除されていなかったらと思うと確かに残念である。 しかし、精神科医のいうことが「当たり前」のことであってはならないと精神科医自身が思っていたり、あるいは「当たり前」のことだと大衆ががっかりするのは、そこに日本の精神医療の位置付けが見えるような気がしてならない。要するに一般大衆どころか、精神科医にとっても精神科は、遠い世界であり、敷居が高いのだろう。それがエスタブリッシュメントの人達が気軽に精神科を利用する文化との違いなのかもしれない。実際、日本とアメリカの精神科医が何が違うといって、それは薬の使い方でも、理論の理解でもない。カウンセリングの手法にしても大きな差はないだろうし、事実上リアルタイムで新しい技法や理論が導入されている。いちばん、大きな差は精神科医自身が患者の体験をしているかどうかだろう。アメリカでは、少なくとも私の留学先では、生物学的な治療を行う人も含めて、精神科医のほとんどが、精神分析なり精神療法を受けていた。自分自身が患者の体験をすると、治療者から、わけのわからない理屈を言われると、当惑するし(もちろん、それを喜ぶ人もいるだろうが)、不快に思う。当たり前のことを言われても、わかってもらえるという体験をすると、心が落ち着くものだ。この体験の差が「当たり前のこと」に対する態度に出るだろう。アメリカの精神科医であれば、書き物をするにしても、誰にでもわかってもらえるようにするだろうし、誰にでもわかるのが名誉なこととされ、ベストセラーを書くと素直に尊敬される。日本はいまだにアカデミズムの中で精神医学やその理論が論じられる。そして、私のように当たり前の解釈をする人間は、どうも「コメントが面白くない奴」と思われているようで、マスコミ的には二流の扱いを受けている。精神科医の言説に対する幻想は、この患者体験や、精神医学の大衆性の差に負うところが大きいと私は信じている。いずれにせよ、今後も私は当たり前のことを言っていくつもりだ。マスコミ受けやアカデミズム受けをするコメントにはならないかもしれないが、もし私にコメント取材その他を求める人がいれば、そこは覚悟していただきたい。 もちろん本書の書評をして下さった春日氏が、不可解といい、もっと腰を据えて筆を費やすべきだと感じたくらいだから、私の書きものからは、「当たり前でいいんだ」とか「俗説と大同小異で何が悪い」ということは十分伝わらなかったのだろう。これについては、「専門家で書評を任せられるくらいの立場にいて、どこを読んでいるんだ」と怒ることなく、素直に反省して、次回作の課題にしたい。 |
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