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元旦の朝まで生テレビに出て思う(2000/1/4) 最新ニュースでもお伝えしたように元旦の深夜に朝まで生テレビに出た。 正直言ってふがいないのひとことに尽きる。 言いたいことがろくに言えなかったのだ。そして、そのフラストレーションから余計なところで吠えるようになってしまった。さらに時間の制約への遠慮から、なぜそう考えるかという心理学的背景をうまく伝えることができなかった。テレビ、特に生放送の怖さを実感した悪夢のような一日だった。ただ、一つだけ言い訳を言わせてもらうと私は自分からぎゃんぎゃんと言ったせいか、あまり司会者に好かれなかったようで、一度として指名されての発言はなかった。すべて途中から割って入ったものだったのだ。 テーマとしてはネット社会で何が変わるかというものだった。 一つ、私が言っておきたいのは、司会の田原氏を含めて、ほかの論客達がすべて日本を変えなきゃとか規制緩和の方向性でものを考える人達だが、私はソフトランディングでよいし、無理に変えないでこれまでの日本的特性を利用したほうが、それなりにうまくいくと考えていることだ。このために上手に議論に入り込むことができなかった。 たとえば、田原氏がIT(Information Technology)でも日本はアメリカからノウハウを習いきったので、これからは勝てるという発言をした。それに反応して、私は、日本は応用力があるので、パソコンメディアが家電レベルにまでいくし、実際携帯が端末に使われ始めて、パソコンが少なくとも情報ツールとしては、必要なくなりつつあるという見解を示した。それに対してソフトが絶対的に無理という堀氏の反論があった。それはハードの話でしょとほかの人もあざけったように同調した。ここで私はハードでなぜ悪いと言ったのが、そのまま堀氏の発言がどんどん続く流れになってしまった。 私は日本人はハードを作るのがうまいが、ソフト作りが下手なので、ソフトが大事という発想は、これもまたバイアスだと考えている。ハードがあればソフトがついてくるという側面もあるし、ゲームのようにきちんと儲かるのであればいくらでもいいソフトができる、またプレイステーションが市場を制してから、ますますPSのソフトが強くなったという循環を見ているからだ。 アメリカでパソコンが安売り競争に入った中、日本は薄型軽量化での競争がまだ進んでいるし、パソコンユーザーが伸びないとみると、FAXや携帯にインターネット機能をつけて、より家電的発想で使えるものを作ろうとしている。これは一つには、アメリカは、使えるんだったらそれでいい、安けりゃそれでいいというう貧しいユーザーを大量に抱えているのに、日本はまだ高くてもいいものを、より高機能のものをという消費者心理が残っているからだと考えている。むしろ何より怖いのは中流の崩壊で、このようなよりよいものを欲しがる心理が崩壊して、安けりゃそれでいいとなることだ。 二つ目は、インターネットはある種、シゾフレ人間時代にとってはもろはの刃だという点だ。実際、心の主役が自分でなく、他者であるシゾフレ人間にとって、インターネットは、ただ与えられる情報から、高度に自分が選択する必要をもつメディアである。また対人関係も、広く浅く本音をみせずという形から電子メール化すると、ある程度本音を見せる交流が復活する可能性もある。情報や価値観がデジタリックにかわるマスメディアと違ってインターネットは時系列の連続性も形に残る。つまり、いくつかの点で、インターネットはシゾフレ人間をメランコ人間の方向に引き戻す可能性がある。 一方で、すでにシゾフレ人間化してしまった人にとっては、情報の被暗示性が強く、はるかにだまされたり、情報操作されやすいメディアであり、また対人関係ももたないでファンタジーの世界で生きていくことが可能なメディアでもある。 つまり、シゾフレ人間化をある程度のレベルにとどめておけば、かなり健全なメディアに育つ可能性をひめつつ、シゾフレ人間化が極端な場合は、よけいにシゾフレ人間化を進める可能性があるのだ。 そこで大切なのが教育ということになる。情報の取捨選択や、知識を使って推論を行う教育が特に必要となる。そういう点で意外に数学教育を重視する必要が生じてくるのだと言いたかった。現時点で問題なのは、そういう点でやはり学力崩壊である。国民、とくに若者があほ状態が続くと、インターネット情報は暴走、迷走する可能性が強くなる。 もう一つはソフト作りや、情報の取捨選択のための生涯教育の必要性である。これは塾や専門学校で十分だと考えるが、逆に卒後教育が商売になるのなら、これもまたニュービジネスになり得る。 もう一ついいたかったのは、田原氏が主張するように、(というか、このおかげでまた日本にバブルが起こると予言するように)アメリカがうまくいっている、ITと金融業が国を引っ張っていくモデルでなく、たとえば、高齢者相手のビジネスやサービス業など、日本なりの新産業が模索できないかという点である。アメリカは競争相手を必ずたたく国なので、アメリカがやらないことで勝負をすべきだというのが私の持論である。 今回は、珍しく天皇制の問題が話題にのぼったが、私は皇室のメンタルヘルスを問題にしたが、基本的に叙勲制度を活用するために、皇室の権威は保たれるべきだと考えている。ただ、叙勲を受けるために、国立大学を喜んだり、教授になろうとあくせくしたり、企業などで長い間社長を続けようとする人がいるなどの弊害もあるという指摘が朝日新聞の山田氏からあった。私は、それなら叙勲の基準をかえれば済むと考えている。今国家に対する最大の貢献はなんといっても納税である。そして納税に対して報酬が少な過ぎるのが問題点だ。比較的安上がりで、しかももらう側がかなりの確率で喜ぶものが叙勲であり、園遊会への招待であろう。年間の高額納税者の上位500人くらいは園遊会に招待され、生涯納税学で、叙勲が決まるとすれば、脱税も減り、まだまだ自分の必要経費を減らしてでも納税したがる人が増えるはずだと私は見ている。高額納税者が叙勲され、園遊会に招待されるだけで年間兆単位の税収が増えるのなら、陛下が一般市民からどれだけ尊敬されているかを内外にアピールできるし、皇室費がいかに安いものかも内外にアピールできる、つまり皇室がいかにコストパーフォーマンスがよいかをアピールできるチャンスだと考えるし、何よりも税収が増え納税意欲が増すはずだ。 私が言いたくて言えなかったことは、ほかに多々あるが(たとえば、貧富の差の是正のために直接税を増やして、その代わり経費を多めに認めることや、シゾフレ人間の時代にはインターネット情報より権威のあるメディアが生き残ることなど)、とりあえず、日本はハードで頑張って何が悪い、ソフトランディングで何が悪い、今こそ教育が大切、叙勲の制度を大幅に改革すべき、ということは改めて主張しておきたかったと伝え、そのアピールのチャンスを逸したことをここに悔やんでいる。 今後はしばらく紙媒体とラジオなどで頑張っていきたい。 |
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