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小渕前首相の急病、死、青木官房長官への引継ぎ、そして世襲問題について思う (2000/5/30) 忙しくて、このエッセイも随分お休みしていたが、私がいちばん腹に据えかねている問題である小渕前首相の急病から死にかけての問題点に触れておきたい。 まず第一に、病状の発表である。結果的に、入院中に医師団による記者会見は一度も行われなかった。そのために、いくつもの疑問点が残ることになった。 一つは、最近マスコミを騒がせている青木官房長官への引継ぎが可能であったかという問題である。 たまたま、最近日本神経学会(実は、この学会に主治医の水野美邦順天堂大学脳神経内科教授も出席していた)に出て(ついでに、私は日本神経学会の認定医であるし、10年以上前のことではあるが、国立水戸病院の神経内科のレジデントとして、救命救急センターでトレーニングを受け、年間200人ほどの脳卒中の患者の受持ちをしていたことがある、通常の精神科医よりはこの問題については、経験がある)、何人かの脳卒中に詳しい神経内科医に話を聞いたが、おそらくあの記者発表は嘘だろうという話になっていた。あの年齢で、心房細動があること、及びその後に出血性梗塞が起こったことから、おそらくは脳塞栓(心臓にある血の塊が脳の血管をふさいで起こるタイプの脳梗塞)だろうから、もっと症状の進行は急速であったはずで、青木氏が見舞った発病後20時間では、意識はなかったはずだというものである。 ただ、私は前駆症状(一過性に会話が途切れるような症状)もあったし、もともと脚が弱ったくらいで入院して、その後どんどん症状が重くなったということから脳血栓(動脈硬化がどんどん進行して、そこから先に血液がいかなくなって生じるタイプの脳梗塞)かもしれないとも思っている。だとすると、出血性梗塞が発症するまで意識そのものはあってもおかしくないし、左麻痺はあったとしても、命がどうのこうのという状態ではなかったのかもしれない。 ここは、水野教授が東大の神経内科の先輩でもあるし、人柄はかなり信頼できる人なので、本当のことを話しているという前提で、それでも青木発言は嘘のはずだという根拠に触れておきたい。 記者の中で気の利いた人がいて、青木氏の面接時の意識レベルについて質問した人がいた。こういう具体的な質問には、正直に答えるしかないのだろう、水野教授はJCS(日本式昏睡尺度)の2から3と答えた。 これが答えなのである。あとは、「正直なところ多少びっくりした。(略)いかに治療するかに専念していたので、それ以上深く考える余裕はなかった」というのは、精一杯の水野氏が嘘をつかない範囲で答えた良識というものだろう。ここで、もう少し勉強している記者がいれば、2から3という答えについてつっこめたかもしれないが、日本の記者連中の教養レベルがこんなものなのだから仕方がない(というか、取材の時だけ医者に話を聞くから大した知識も身につかない、ふだんから医者と飲み食いをしていれば、もっと医学の知識もつくし、日本医療の問題点もわかるはずなのだ。私は会う記者、会う記者についてそういう誘いをかけているのだが、新聞社系の週刊誌【ここの新聞社は週刊誌の記者は優秀な人が多いが、本体の新聞社は大学教授の肩書きがないと取材しない主義らしく、私が大きく取り上げられたことがないどころか、取材を受けることもめったにない】の記者を除くと、それを実現できているのは、日本一の部数を誇るY新聞の記者だけである)。 JCSの2というのは、「開眼をしているが、失見当識がある」つまり、ここはどこ、今日は何曜日というのが、答えられないレベルの意識である。そして、3というのは自分の名前や生年月日が言えないレベルということになる。実際は、ぼんやりしていながらもきちんと自分の意思を伝えられるレベルというのはJCSでは、1でなければならない。自分が入院しているのがわからないレベル、自分の名前が小渕恵三と答えられないレベルの人間に「有珠山の心配もあり万事よろしく頼む」どころか、「よろしく頼む」と言えたかどうか、あるいは青木氏のことを青木氏とわかったかどうかすら大いに疑わしいのである。 ましてや、心有る神経内科医の多くが予想するように、小渕氏が脳塞栓であったなら、こんな会話は100%不可能であったはずだ。 青木氏が会話を捏造して自分が短期間であったにせよ、日本の総理を代行していたとすれば、国家の乗っ取り犯と言われても仕方がない大罪を犯しているのは言うまでもない。 むしろ、私が記者会見の際に質問が出なくて残念に思ったのは、小渕氏が脳死状態にあった時期があったのではないかという点である。これはマスコミが報じているように、小渕氏はドナーカードを持ち、臓器移植法にも賛成の一票を投じている。つまり、生前の意思からして、脳死状態が疑わしい状態に陥ったら即座に脳死の判定を行い、もし脳死であったら臓器の提供を行わないといけなかったはずだ。 実際、小渕氏が入院した翌日の「NEWS23」では、「JNNの取材に対して、医療関係者は『小渕総理は、今夜医師団によって臨床的脳死と診断された』と述べました」と報じており、当日のゲストコメンテーターの某大学医学部教授も、「これは、実際は脳死であるのに、判定を行っていない状態だ」とご丁寧に解説をしていた。少なくとも自発呼吸が止まり、瞳孔の反射がなくなったのであれば、この時点で脳波のチェックをしないといけないし、さらにそれがフラットであるとわかれば、無呼吸テスト、つまり人工呼吸器をはずして、呼吸が戻るかのテストをしないといけない。生きるか死ぬかわからない時にそんなことをするのは残酷だという考え方もあるし、働き盛りの人間が急にこんなことになったのに、家族や周囲の気持ちを考えると最後まで望みを捨てずに延命をすべきだという考え方もあるだろう。私はその通りだと思う。脳死というのは長い闘病の末に起こることはまれで、ほとんどがこのような脳卒中か、交通事故などの事故で起こるものである。家族にしてみれば、小渕氏の家族と同じような経験をしているのである。働き盛りで愛する家族の見守る中、他人を助けるためにという美名のもとに、いろいろ検査のあげく人工呼吸器をはずすテストまでされて、体も温かく、心臓も脈打っている人から、たとえば心臓を取り除いて、心臓も動かなくするし、体も冷たくしてしまうのが脳死なのである。もし、小渕氏が急なことで可哀想だから特別扱いされたとすれば、脳死立法は廃案にすべきである。私はそれでいいと考えている。脳死を認めたところで、移植を求める人の1%も助かっていない。むしろ生体移植のような工夫や人工臓器の開発などのほうがよほど実際的な解決法である。これは、助かるはずの人の1%しか助からない手技など医療とは言えない。これは、移植をやりたい医者の自己満足にすぎず、また代替の方法を考えられない医者の馬鹿ぶりを物語るものである。(実際私が脳死の反対運動をしている頃、お前らのせいで肝臓移植を求める子どもはみんな死ぬといわれたが、脳死反対のおかげで、日本では生体移植が進み、欧米と比べ物にならないほどの数の子どもが救われている。もちろん、臓器移植法では子どもをドナーにすることは許されていないので、脳死が許されても子どもの命は一人も救われていない――最近、脳死者からの生体移植があったのでそうも言い切れないが純然たる脳死肝移植は行われていない) 余談はさておき、小渕氏は脳死の推進論者であった以上、脳死の時期があったとすれば、当然臓器移植法の対象になったはずである。臓器移植法に賛成した多くの議員たちが、そのことにほとんどふれず一刻も早い回復を祈念するみたいなコメントをするのも欺瞞そのものである。それならこんな法律を作るなと私は言いたい。 私は、入院中に記者会見ができなかった理由はこの点にあると考えている。実際、すぐに回復は望み薄と報じられ、人工呼吸器もついていることも明らかにされ、さらにすぐに次の首相が決まったのだから、途中で病状の報告ができない理由がない。つまり、脳死かどうかを問われた際に嘘をつくわけにいかないので、記者会見ができなかったのだろう。これだけ重症な脳障害がある患者が、脳死より心臓死が先行することは考えにくい。死ぬ前の何時間であれ、何日であれ、あるいはNEWS23で取り上げられてからずっとであれ、脳死の時期があったはずだからだ。 脳死という考え方そのものが、ドナー(脳死状態に陥った患者――回復の見込みのない、将来役に立たない患者)の命より、レシピエント(移植を受ける患者――これによって社会復帰の見込みがあり、社会に役に立つかもしれない患者)の命のほうが重いという人の命に序列をつける考え方であった。しかし、それは地位による差別でなく、回復の見こみによって選別するという医学的合理性があるという理屈は存在していた。しかし、もし小渕氏が脳死であったのに、社会的地位が高いという理由で、あるいは本来リビングウィル(小渕氏はドナーカードをもっていた)が優先するはずなのに、家族や周囲の意思で死の判定を受けなかったとすれば、これほどの差別はあり得ない。実際、脳死法案でも問題になったように回復の見込みは皆無に近かったのだから。いずれにせよ、脳死が想定されるのに、その判定をしなかったとすれば、順天堂大学病院の責任は大きいし、脳死立法という悪法とは言え、国の法律を無視したことは許されまい。 小渕氏が脳死の可能性があったのか、なぜ判定しなかったのかは今後追求しなければ許されない課題である。そして、ここで脳死が客観的なものとはいえず、周囲の医者が判定するかどうかによって、脳死になったり、脳死にならなかったりするし、死亡時間も自由に選べる死であるという問題も改めて浮かび上がってきた。もう一度、脳死立法をdぽうすべきかは問いただすべき問題であろう。 小渕氏の死にまつわるもう一つの問題は世襲問題である。これについては、選挙というシステムがある以上、選挙民が選ぶ問題であって、彼らの民度の問題としか言いようがない。それよりも大きな問題は、要するに日本は専業政治家のほうが、社会での成功者よりもはるかに政治の世界で重視されることだろう。つまり、経済危機に際して、経済の世界での成功者が、自ら政治家になろうとしてたとえば50歳で初当選しても、1年生議員の扱いを受ける。たとえば、私が老年医療の現状を悲しみ、政治の世界に出ようとしても、やはり同じ扱いを受ける。彼らにしてみれば、30代を医療や経済の世界にいたことより、代議士である人のほうが上という発想なのだから、よその業種の優秀な人間は政治の世界に集まるはずがない。つまり、小渕氏の次女が26歳で当選すれば、40代の半ばには政治の世界では、かなり大きな顔が出来る立場になる。そこまではよいが、それによって東京の人間が納めた税金がまた群馬に流れてしまうという問題が生じるのである(実際、群馬県を訪れた人であれば、福田、中曽根、小渕と続いたおかげで、道の立派さに驚くはずだ)。若くて当選した人間ほど重用されるシステムを何とかしないと、たかりの多い地域ほど若くて当選できる可能性が高い二世、三世を当選させる素地ができてしまう。小渕氏の次女が地元で人気があって当選するのと、それが他選される事で再び利益誘導が起こることは別問題にしてほしい。そろそろ、地域で自主財源を考えられないようなら、東京もシンガポールのように独立すべきなのではないかとさえ納税者としては思ってしまうのだ。 ついでにいうと、おそらく小渕氏の次女も、前述の脳死問題についての当事者である。もし、彼女が小渕氏の脳死判定に反対したとすれば、政治家になりたいというのであれば、国会で作られた法律を遵守する(あるいは、選挙の公約として脳死法案は悪法なので、撤回させると宣言する)のが筋である。自分だけ法律が関係ない治外法権だと主張するなら、こういう人間は政治家にしてはいけないことだけは明言しておきたい。 最後に、今回の小渕氏の急病について、感情論によって、まともな理屈が通じなくなっているという問題についても少し語りたい。 野中氏は、今回のエピソードは民主党などによる追及や小沢氏の離反などによるストレスによるものだと主張している。私に言わせれば、その程度のストレスで倒れたり、あるいは野党からの批判が聞けないようなら、その時点で首相になる資格がないといってよいのではないか?たとえば、森新首相が、「神の国」問題やその他の疑惑について追求された際に、「私はストレスに弱い体ですので、これ以上追求すると小渕さんのようになります。そんな非人間的なことはマスコミも野党もやめてもらいたい」と主張したら、それが通るのだろうか?ならば、マスコミにも野党にも批判されないために、心筋梗塞を何度も起こしている人を首相にするほど安穏なことはなくなってしまうだろう? 今回のエピソードはむしろ、脳血栓であれ、脳梗塞であれ、中大脳動脈のかなり太い枝に狭窄があったのだから、脳ドッグで発見できたはずだし、それを何らかの形で予防できたはずだということを問題にすべきである。つまり、批判をする側を責めるのでなく、首相の健康管理もできなかった側近の無能ぶりが責められるべきなのである。 ついでに、死んだとたんに小渕礼賛の話ばかりが出るが、二つだけは客観的な数字がある。一つは、小渕氏は在位一日あたりの自殺者数が歴代一番多かった首相であること(これのたたりだという気はないが)、また、在位一日あたりに増やした借金が一番多かった首相であることである。急死したとたんにそれがちゃらになるのなら、政治家は体が弱いほど得ということになる。小渕氏の弔い合戦とか、小渕路線の継承とかいう形で、死を美化して、これまでの政策の問題点を問わないのならこれほど危険なことはないし、逆に死ですべてが許される前例は必ず自殺を誘発するという問題にも、精神科医として改めて警鐘をならしておきたい。 |
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