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インターネットをどう考えるか(2001/1/1) さて、世はITの時代といわれて久しい。 本音をいうと、パソコンでゲームをやることをITとはあまり言わないだろうし、 グラフィックや表計算のようにこれまで使われている上に、ある程度プロフェッショナルかマニアの人しかやらないような分野もあまりITの扱いを受けていない。 また、パソコンをワープロにしか使えない人は、前時代の遺物のように思われていることだろう。 結局、ITの本命はインターネットといってよい。実際、パソコンでゲームをやるのは、ITでなくても、インターネットで配信されたゲームソフトをダウンロードし てゲームを楽しんだり、ネットで双方向で楽しむゲームをやったりするのなら、IT と言われるはずだ。インターネットがあるおかげで、ショッピングもITと呼ばれる のである。 家にいながらにして、いろいろなものが手に入ったり、いろいろなことが楽しめるというのが、インターネットのすばらしさとされているが、ITということが information technologyの略でわかるように、インターネットの本業は、情報を伝えることである。これによって、人はいろいろな情報を手にすることができるのである。 しかし、簡単に情報を手にすることができる時代は、実は個人の能力の差をかえっ て大きくする時代であるという落とし穴が意外に気づかれていない。 たとえば、慶応大学の文学部の英語の試験は辞書が持ちこみ可能である。しかし、 単語を覚えておかないでよいかというと逆にそうではない。辞書を引く回数が多い少ないで、できる量が大きく違ってくるからだ。また、辞書が分厚いほど点差が開く。 というのは、一つの文の中でわからない単語が一つしかない場合は、その辞書に単語の意味が10個書いてあっても、おそらくはその10個の中で最も適切な単語を選べるだろう。しかし、3つわからない単語があれば、10×10×10の1000通り の中から選ばないといけない。そうでなくても、3回も辞書をひくことで時間が足りないのに、そんなにいろいろな場合を想定できるわけがない。結局、意味がたくさん 書いてある辞書を持っていった人のほうがかえって点が取れないことは少なくない。 また、文法の知識だって、単語の意味がわかりにくい時に意味が辞書が引けるのであ れば、文法力の差がそのまま、点差になる。かくして、辞書持ちこみ可はかえってできる人間とできない人間の差をつけるのである。 ある大学では資料も持ちこみ可、それどころか、外に調べにいってもいい(これはわかる友達に聞いてもいいということも意味する)で試験をすると、もともとそれに対する知識が豊富な人間と、あとはよくわかっている友達をもっている人間がいちばんできたとのことだ。 結局、インターネットの時代になると、情報を選ぶ能力、読みこむ能力のある人は、 自分の情報量を飛躍的にふやすことができるが、その能力がない人にとっては、かえって混乱を生むのである。あるいは、わからないことを聞ける友達をもっていないと、 情報がただのゴミの山になりかねないのである。 手に入る情報は増えれば増えるほど、できる人間とできない人間の差がつくことは忘れてほしくない。だからかえって勉強が必要であり、学力が必要なのだ。 今年の4月1日と2日に、東京で開かれた主要8カ国(G8)教育大臣会合、いわゆ る教育サミットの議長サマリーでは、「労働市場で求められる技能レベルは高く、 すべての社会は教育レベルの向上という議題に直面している。高い技能レベルを身につけ維持できる者は社会的にも経済的にも大成功を収めることができるが、そうでな い者は(略)社会的・文化的生産活動に必要な収入を得る見通しも立たない状態で、 かつてない疎外の危険に直面している」と明言されている。 インターネットの時代は、学力のない人間に冷たい時代だと身にしみて感じているから、私は学力問題を訴えかけ、大学受験のノウハウを教えつづけているのである。 インターネットが薔薇色の未来を開くとは考え過ぎないで、まず通常の勉強をし、 そしてわからないことを聞ける人間関係を築くべきだということを、特に若い人たちに言っておきたい。 |
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