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プロセスより結果をみろ(2001/4/15) 最近、結果責任ということばがよく用いられるが、これはまったく妥当な話である。 日本では、もともと結果がよい人間以上に、「努力している」人間が評価されることが多かったが、最近になって学校でも、テストの点より、意欲や態度を見ようという、プロセス重視の評価がなされている。これは新学力観といって、実は89年か ら採用されているのだが、これによって内申書では、主要科目(英数国社理)についても、中間テストや期末テストの得点以外に、新学力観に基づく観点別評価が付け加えられることになった。 一生懸命やっている人間は点が足されるのはいいことではないか、そういう人間 は今は得点が低くても将来伸びるはずだという考え方があるが、この新学力観採用後、高校生、大学生の学力低下が目立ち始めた。結果軽視、プロセス重視の評価法で、プロセスのよい人間を高く評価するようになったら、期待通りプロセスをよくした人間が結局は結果を出せず、結果がよくても正当に評価されない秀才が白けて しまった結果の学力低下とも言える。プロセスがよければ、最終的に結果がよくな るはずだというのは仮説にすぎず、それよりは結果を重視したほうが、確実に人間を向上させるものなのだ。もちろんアメリカの教育改革においては、ペーパーテス トという結果が確実に重視されている。 結果責任の考え方は刑事問題にも適用して欲しい。車の運転でも50キロ制限でつかまえて喜ぶよりは、人をひき殺したり、けがをさせた人間の罰を大きくしたほうがよほど交通事故は減るはずである。つまらないところで、交通違反で意味のない取締りをするから、ドライバーがイライラして結局事故を起こす。ところが一方 で、飲酒運転で2人殺しても懲役5年で済んでしまう。子どもを殺されたほうは殺人と同じ気分でいるのに。事故をおこしても罪が軽いのに、警察が作った恣意的なルー ルを破ると膨大な罰金がとられたり、免許を取り上げられたりする。どんなに「安全運転」(警察の作ったルールを守るという意味での)をしていても、人をはねたら、きちんと罰されるべきである。 このプロセス重視の考え方が人々を警察嫌いにしている。本当は日本の治安がいいのも警察に負うところが大きいのに、それに感謝できないのなら、これほど馬鹿馬鹿しいことはないだろう。しかも、恐らくはこれが事故をむしろ増やしているはずなのだ。 もっと言えば、最近の幼児虐待死や少年の殺人だってそうだろう。やったことを考えれば、人が死んだということの結果責任の考え方は絶対に必要である。子ども を虐待死させておいたり、集団でぼこぼこに殴ったあげく、その人が死んでも、傷害致死で許されるなら、この手のことをやらかしかねない人間に抑止力が働きづらくなる。 人が死んだら交通事故であろうと、リンチであろうと殺人なのだ、それ以上の情状は場に応じて認めるという結果責任の考え方一つで、むだに死ぬ人間は多少は減るだろうし、遺族の精神的なトラウマは確実に軽くなるということだけは絶対に言っておきたい。つまり、プロセス重視より結果重視のほうが、ここでも付随的な結果 がよくなるのである。 |
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