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汚いぞ!寺脇研(2001/6/1)
先日、とあるテレビ番組から、来年から実施される新学習指導要領とゆとり教育の問題点について、文部省の役人とスタジオで議論してくれと誘いを受けた。
このメルマガ・ホームページの読者の方なら、私がこれまで、どれだけ激しく、 ゆとり教育政策の危険性や諸外国の教育政策との逆行を論じ続けてきたことはご存知のことだろうが、小泉首相が、来年から円周率の計算でおよそ3を使うことを知らなかったように、この危険性が広く国民に共有されているとは思えない。
私としては、高視聴率のその番組で議論することは、そういう世間の人に、ゆと り教育の危険性を知ってもらうチャンスと大喜びで引きうけた。
ところが、数日後、その番組の担当者が、申し訳なさそうに、「文部科学省の 寺脇審議官が、和田と議論するのなら出ないと言っている。文部科学省の当事者が出ないと番組が成立しないので、辞退してほしい」と電話してきた。
もちろん、この話の真偽はわからないが、収録が数日後ということを考えれば、やはり事実と考えざるを得ない。寺脇氏とは、週刊誌や討論番組で何度も議論してきたのだが、ここに来て急に態度を変えた理由もわからないではない。同じ議論を
するにしても、情緒的にゆとり教育に怒る人を相手にするのと、外国やさまざまなテストのデータをもって、数字で反論する人を相手にするのでは、後者のほうが
文部科学省の現行の政策を推し進めるためには危険だと判断したのだろう。実際、 これまでのさまざまな寺脇氏との議論と違って、はるかに視聴率の高い番組での議論なので、国民への影響力もはるかに大きい。番組に圧力をかけても、私とディ
スカッションしたくないというのは本音だろう。
いずれにせよ、番組の側としては文部科学省の人間が出ないと番組が成り立たない。結局、誘われた際に撮ったビデオで私が問題提起し、寺脇氏がそれについて
論駁する形をとることになった。私はスタジオに入れないので、その説明への反論 はできない。私としては、その際に撮ったビデオのオンエアを拒否しようと思ったが、大人気ないので、それは控えることにした。
これが、朝まで生テレビのような番組でなら、「文部科学書の寺脇氏が出ないと言ってきた」とでも、田原氏が言えば、それでそのメッセージを伝えることができるだろうが、その番組は視聴率が高い代わりに、娯楽番組でもあるので、文部科学省の言いなりになっても、寺脇氏に出演してもらわないといけないのだろう。
これは、国民への愚弄であるし、大変危険な情報操作である。
国の教育政策のような大事な問題について、データをもつ反論者を出すのならテレビに出ないと脅しをかけ、本来の問題点が表に出ないようにすることが許されるなら、優秀な官僚が国民を納得させるなど朝飯前だからだ。
たとえば、小泉首相や田中外相への討論番組をテレビで企画して、手ごわそうな 論客が出るのなら、小泉氏や田中氏が出ないといったらどうだろう。テレビの側は、もちろん小泉氏や田中氏が出ないと番組が成立しないので、当然言いなりになるだろう。もちろん、その論敵が外されたことは表に出ることはなく、できの悪い論敵
を論破する小泉氏や田中氏の頭のよさがさらに国民にアピールされることになる。彼らがそんなことはしないと信じているが、やる気になればできるという点で背筋
が寒くなった。そうすれば、どんどん自分たちのやりたいように政策を進めることができる。それがよいものであっても、国にとって危険なものであっても。
実際、今でも行われているのかしれないが、役人たちはマスコミが自分たちに都合の悪い情報を報じた際に、記者クラブから外すなどという脅しをかけるようなことが日常茶飯事に行われていたという。都合のいい情報だけを聞かされ、国の政策を信用した結果が、莫大な国や地方の借金や、干拓による生態系の破壊という形になって現れるのである。
いずれにせよ、情報操作の結果、官僚や政治家の政策が、いかに愚作であり、売国的なものであっても、まかり通るどころか、国民の歓迎を受けることもあるだろう。
たとえば、今回のゆとり教育にしても、国民がだまされて、日本の子どもが 外国に学力で負けたり、塾に行けず、義務教育に頼らざるを得ない子どもがダメージを受けても、後の祭りである。
影響力の小さい著書などでは反論を受けるが、多くの大衆が見て、情緒的煽動を しやすい娯楽討論番組では反論者を受け付けない寺脇氏のやり方に情報操作の恐ろ
しさを痛感した。さらに言うと、役人や政治家が、自分たちの進める政策についての討論番組で相手を論駁したとしても、ひょっとしたら、それは役人や政治家が選んだ論敵であるという出来レースである疑いをついもってしまうようになったのだ。
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