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でまかせ生物学的精神医学者佐藤光源の偽善的発言に思う(2001/7/1)
忙しくて、このエッセイが若干遅れていたが、ちょっと腑に落ちないニュースがあったので、今回のエッセイで書かせてもらう。
例の大阪の児童殺傷事件は、犯人が精神障害者という触れこみであったため、たとえば、精神障害者の治療処分を検討する必要があるなどという論議も呼んでいるし、また被害児童の心のケアの問題も含めて、精神科医がいろいろな形で取材やコメントに振り回される事件であった。
私も多分にもれず、新聞にコメントを出したり、大阪の老年精神医学会に出ていた時に大阪のテレビにも出演することになった。
この事件を受けて精神神経学会でも臨時の理事会を6月17日に開いて、月末までに学会の見解を発表することになったという。
さて、この記者会見において、精神神経学会の佐藤光源理事長は「精神医学的な情報が不明な段階で専門家が安易なコメントをすべきではない」と述べ、また多くの心を病む人への影響を考えて欲しいと、精神障害者の人権を大切にしてほしいという要望を行った。
これは、両方とも正論である。前者については、私のコメントが安易でないとは言いきれないので素直に反省したい。
しかし、佐藤氏のコメントはまったく矛盾しているのも事実だ。安易なコメントを出すなといいながら、この問題についてのマスコミの狂騒ぶりについて「『もう一つの心的外傷後ストレス障害(PTSD)』とでも言うべき状況が起きている」
というコメントも述べている。PTSDは立派な病名であり、トラウマの再体験のほか、感情鈍麻や過覚醒症状などを合わせていうものであり、そんな症状も見うけられないのに、世の中のあり方をPTSDなどと診断するのであれば、PTSDについての大衆の誤解を増長するし、またPTSDをあたかも悪いもののように言うこと自体、トラウマを抱えて苦しむ患者に対する冒涜と言ってよい。人に安易なコメントをするなといっておいて、世情に対して勝手な精神科的な診断名をつけることが安易でないと言えるのだろうか?
ただ、私は生物学的精神医学の権化のような人で、自分の大学の医局では精神療法家を弾圧し続け、また生物学的研究のためには患者の人権を平気で無視するよう
な佐藤氏がこんなコメントを出すことには、やはり疑念を感じざるを得ない。
実は、私は東北大学の医学部で医学博士の学位をとっている。本音としては、医学博士の8割が動物実験で授与されるという現状では、むしろ学位をもっていることは、それだけ臨床のキャリアが短いことを意味するし、そのような趣旨の学位批判をしてきたので、あまり学位には興味がなかったのだが、東北大学の私の教授が長い間、ただ働きで老人の精神科の外来を続けていたこと(私自身は、老年内科で精神科の重要性を認識し、私を呼んでくれたことに意気を感じて、外来を続けてい
ただけなのだが、現に学位をとってからもただで通いつづけている)に同情して学位を取るように勧めてくれた。私は生物学的研究で取りたくないとはっきりお話したら、「自分の専門の精神療法で大丈夫、佐藤光源氏は精神療法も大切だという人だ」と老年内科の教授が請合ってくれたので、高齢者の精神療法の論文をまとめて書いた。この論文は自分で言うのも何だが、かなりできのよいもので、これを短くまとめたものは、今年の自己心理学の国際カンファレンスのワークショップセッションに日本人ではじめて選ばれ、90分も時間をとって、私の発表のほは、その後ドイツ人の精神分析家とディスカッションをすることになっている。
その学位の審査会で主査であった佐藤氏に言わせると、その論文について、「これは論文でなく、論説である」とのことである。統計で有意差を出せるような研究でないと論文と見なさない、生物学的精神医学者の佐藤氏には、精神療法の論文の評価はできないのである。結果的に私は、その年の東北大学医学部でおそらくたっ
た一人の学位論文を却下された人間になってしまった。ついでにいうと、この佐藤氏の姿勢のおかげで、東北大学の精神科には精神療法がまともにできる人間は残っていない(異議があるなら、いつでもディスカッションに応じよう、私より精神療法の臨床ができるというのならいつでも公開討論に応じるつもりだ)。
実際は、今回の宅間容疑者もおそらくは人格障害だろうし、また被害を受けた子どもたちの中で一定数はPTSDになる。この両者の精神障害とも、薬物療法はほとんど役に立たない。必要なのは精神療法なのに、精神療法を志す人間には学位を与えず、それどころか医局にもおかないのである。こんな人間が理事長になるよ
うだから、日本の精神医療は貧困であり、精神療法でしか治らない患者が放置される結果となっているのである。その精神医療を貧困にした責任者に患者の人権を語ったり、PTSDのことを語って欲しくないのである。
ついでに言うと、翌年私はアルツハイマーの患者が肺炎になるのは、向精神薬による脳内ドパミンシステムの障害だということを示す論文で学位をとったのだが、審査会で唯一文句を言ったのもこの佐藤氏だった。(この時は主査が佐藤氏でなかったので、幸い学位をとることはできたが)その時の文句がふるっていて、肺炎の原因が向精神薬によるパーキンソニズムではないかと問われたので、きちんと筋固縮の有無はチェックしていると答えたところ、咽頭筋の筋固縮をチェックしたかと聞く。神経内科に私はいたことがあるが、そんなものをチェックするなどという話は聞いたことはないし、第一患者の苦痛が伴う、そして、その際に誤嚥が生じると生命の危険さえあり得ることだ。そんなことをやれという人間に患者の人権を
語る資格があるのか?
ついでに言うと、この手の生物学的精神医学者しか論文が量産できないので、 ほとんどの大学で生物学的精神医学の人間が精神科の教授になっている。こういう人間が精神鑑定を引き受け、治る病気を治らないといったり、こちらにはちょっと納得できない鑑定結果を出す。鑑定医になれない限り被告に対する十分な情報が得られないのでコメントを出してはいけないというのなら、彼らの暴走を止めることができない。
いずれにせよ、佐藤氏のような独裁者の生物学的精神医学者のおかげで、日本には精神療法ができる医者がほとんど育っていない。肩書きに踊らされて、こんな人間のコメントが横行するようだと日本の精神医療の明日は暗いとしか言いようがない。たとえ、一見言っていることは正しくても、彼の普段の行動や、その影響力を考えると、彼の発言が横行するのには、危険を感じざるを得ないのだ。
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