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生産性の経済学への訣別を(2001/7/15)
7月15日付けの東京新聞朝刊のロンドン大学教授のロナルド・ドーア氏のエッセイはなかなか面白かった。というより、前から言いたかったこと、言いたいことを言ってくれている(負け惜しみのようだが、私のいくつかの著書やエッセイを読んでくれている人ならわかっていただけると思う)のでスカッとした。
ドーア教授は確か社会学者で、かつて日本のmeritcracy(学歴社会)をかなり激 しく批判したことでも知られる人で(1970年ごろの彼の予言では、見合いとい
うシステムのある日本では、学歴重視にしているとエリート同士の結婚のために、階層が固定するというものがあった。見合いシステムは崩壊したし、受験競争が盛んな時代は、忙しすぎるエリートの子どもが必ずしも名門大学に入らなかったのだが、現在となっては、学歴エリートの子どもしか子どもに勉強をさせないという全然別の角度から階層固定が進むという予言だけはあたったようだ)、私は彼の日本論は浅薄なものと見ていたが、日本研究を長く続けているだけあって、最近のこのエッセイは鋭く、小泉首相就任依頼一貫して、いかにこの改革がばかげたものであり、国民の熱狂がばかげたものかに警鐘を鳴らしている。
この15日付けのエッセイの中では、ポール・クルーグマンが竹中経済財政担当大臣(そういえば、最近英文の論文がほとんどないことが某週刊誌で明らかにされていた。この話についても英文の論文を50本以上書いている、別の知り合いの日本の経済学者から話を聞いたことがある)に会った印象記について触れている。あまりにバカなので内申呆れていると。クルーグマンの竹中氏への質問はきわめて妥当
(私の持論と同じ)ものだ。
「日本経済の根本的な問題が総需要不足であるのに、小泉内閣の構造改革が全部供給面ばかりを目指しているのは矛盾でないか?
これに対して竹中氏は、規制撤廃や民営化が実行されて新しいベンチャー企業が出現してくると、消費者の長期的経済見通しがよくなったことに気が付いて、財布を解いて、金を使うようになるだろう」と言ったそうだ。
クルーグマン氏の印象は、「こういう結果をもたらすと確信する根拠がなく、ただこういう結果があるかもしれないという理由で抜本的な処置を取るとは」
「少し冒険的ではなかろうか」というものだった。
まったくその通りである。教育学者の「カリキュラムを減らして、総合的学習をやれば、できない子どもが勉強するはずだ」という根拠のない思いつきで、世界の教育制作に逆行する冒険を国民に押し付けるのと同様に、経済政策も経済学者の思
いつきが実行に移されようとしている。確かな根拠もないのに。
最近のマスコミに喜ばれ、あるいは政府に重用される経済学者たちは、すべて供給側、生産性の向上のための経済政策を主張する。(明確にこれに反論するのは大阪大学の小野善康先生くらいではないか?)
規制緩和、税金の累進性の緩和、年功序列・終身雇用の廃止とやる気を引き出すための賃金格差の是認、自助と自律の精神を基本とする福祉の軽減、銀行の財務の健全化のための不良債権の早期処理、企業体質改善のためのリストラの促進。
前出の小野教授が指摘しているように、生産が足りない時は累進性の緩和や賃金格差は意義がある。共産主義国が潰れたのは、それをやらなかったからだろう。
しかし、消費が足りない時は、生産性が多少落ちても(むしろ経営者たちが早く引退する気になってくれるほうがちょうどよい)、多くの消費者に金がわたったほ
うがいい。つまり、金持ちからぎっちり税金をとって、貧乏な人の負担を小さくしたり、あるいは福祉によるセーフティネットワークを拡充して安心して金が使えるようにしたほうがよい。私自身は、このシステムが採用されると税金が相当増える口だが、日本の景気回復のためには犠牲になってよいと考えている。認知心理学でも明らかにされていることだが、人間の推論というものは立場に支配される。現在のところ、日本のテレビマスコミのキャスターたちやテレビに出てくる経済学者たちは、累進性を強められると困る人たちばかりだ。彼らの推論は、そこを割引して考える必要がある。
福祉のやりすぎで経済がだめになったとされる北欧諸国が最近やたらに景気がよいし、IT産業も盛んになっている。安心してお金が使えるシステムであれば、重税がこたえないのだろう。ただし、十年ほど前、彼らはある種の痛みを伴う選択をした。それは重税化ではない。この高福祉を守るために、生産性を高めないといけないので、国民はみんな勉強しないといけないということだ。生産性というのは、
システムの変更によって、思うように上がるものではない。国民の動機付けのほうが大切なのである。日本を救いたいのであれば、大量の失業者を出すけど我慢しろというより、国民が将来貧乏しないで済むように子どもにしっかり勉強させろというほうが、よほど健全である。
話は横道にそれた。少なくとも、生産性を上げるために、富めるものがもっと富み、貧しき者がよけいに貧しくなるシステムは、この消費不況の中では逆効果であろう。今、必要なのは安心してお金が使える社会システムの構築である。需要側をどう喚起するかという点では、これまでは魅力的な商品開発というやり方一辺倒だった。しかし、庶民の不安が強い時期のため、家電のデジタル化という非常に魅力ある時代にいるのに、古い商品のままでよいという選択がなされ、いつまでたっても大量生産に結びつかず、価格が下がらないために普及がなおも遅れるという悪循環に陥っている。
たまたまライバル国がない状況だから、まだ日本の家電業界は競争力を保っているが、ヨーロッパのフィリップスや韓国のサムソンあたりが、金を使う自国民を背景に大量生産を可能にした時点でデジタル家電のデファクトの座を譲り渡すことになるというのに。
テレビはもっているから、安くなるまでデジタルは買わないという発想は、私が十年前にアメリカで見た光景と同じである。家電品は一応もっているので、安くなるまで買わないというが、アメリカ人は安くなれば買った。今の日本だって安くなれば買うだろう。プレステ2やそのおかげで安くなったDVDプレーヤーがこれほど売れているのだから。
モノが一通りいきわたっているのに、魅力的な商品がないから売れないというのは私はウソだと見ている。もしそうだとすれば、値段が下がっても買わないはずなのに、この手の改良商品は値段が下がると売れるし、また安売り店はどこもが活況を呈している。
十年前のアメリカの一般大衆は貧乏だった。ほしくても安くないと買えなかった。 たとえば、日本では25万円で売り出されて飛ぶように売れた8ミリビデオカメラが、アメリカでは1000ドルを切らないと売れなかった。でも、みんながほしかったらしく安くなると飛ぶように売れた。
このまま日本の消費不況をほうっておくとかつてのアメリカのように自国の製造業が韓国や台湾に取って代わられる。向こうで新製品が出て、それが向こうの国の人が先に買って、安くなってから日本に輸出される。向こうのほうが人口が少ないから大丈夫という理屈は成り立たない。日本だってアメリカの人口の半分だったのに、日本のほうが先に大量生産できたのだから。
アメリカの製造業はもちろん現在もって蘇っていない。GEは立て直ったが金融業者で、企業の買収屋に変身しただけの話である。松下やソニーがそうなってよいのか?そうなって国際金融業で勝ち残る確率がどれだけあるのか?日本の製造業をつぶして代わりの産業がアメリカのように運良く生まれてくる保証はどこにあるのか?アメリカがすでにおいしいところをほとんど取ってしまったITや金融業で彼
らにおいつける勝算がどれだけあるのか?
規制をとれば新しいベンチャーが出てくるというが、それが本当に規制のためだといえるのか?アイディアがないだけなら、教育の問題なのかもしれないのだ。規制がいくらあっても、これは儲かるというアイディアは必ず実行に移されるものだ。宅急便を見ても明らかなことだ。
法人税を安くすれば、あるいは日本の不良債権の処理が済めば、外国からの投資が増えるというが、こんなに国民が金を使わない国、あまり儲からない国に外国が投資するのだろうか?国民の消費マインドが強くて、ものを買ってくれる、株を
買ってくれる時代のほうが、多少税金が高くても、多少規制が多くても、儲かるのであれば投資するというのが投資家の当たり前の心理ではないのか?
そろそろ、受容する側に働きかける政策が必要だろうが、小泉政権が現在の文部科学省のゆとり政策と同じように、「改革」という名の実験を2、3年は続けることだろう。失敗は目に見えているから、それまでしぶとく私はこれを自説にしてお
きたい。
ところで、ド―ア教授のこのコラムの中で、多くの人間が見落としているすばらしい指摘があった。斜陽産業の整理や構造改革というのは、総需要不足で経済が萎縮している時にやると、「牛が病んでいるときに、角を正すようなもので、殺すのは確実だ」と。
私も精神科医の立場として納得できる。うつ病の患者に、うつ病の時に反省しろだの、生き方や態度を変えろとは言わない。そんなことをしたら、余計に悲観的になるし、下手をすると自殺するからだ。むしろ躁状態の時に、そんな風にいって反省を促し、生き方を変えさせる。
経済学者や政治家というのも、処方と診断を間違うと患者を死に至らしめることは心しておいたほうがよい。
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